かぎりある道なれば、この砌をも立ちいでて、猶ゆきすぐるほどに、箱根の山にもつきにけり。岩がねたかくかさなりて、駒もなづむばかりなり。山のなかにいたりて、水うみ広くたたへり。箱根の湖と名づく。又蘆の海といふもあり。権現垂迹のもとゐ、けだかく尊し。朱楼紫殿の雲に重なれる粧ひ、唐家の驪山宮かとおどろかれ、巌室石龕の波にのぞめるかげ、銭塘の水心寺ともいひつべし。うれしき便なれば、うき身の行くへ、しるべさせ給へなどいのりて、法施奉るついでに、
今よりは 思ひみだれし 蘆のうみの 深きめぐみを 神にまかせて
いつまでも留まっている訳にもゆかぬので、三嶋大社(現静岡県三島市)を出て、なおも進むと、箱根山(現神奈川県足柄下郡箱根町)に着きました。岩が根([大きな岩])が高く切り立ち、馬も進みかねていた(滞む)。山中に入ると、大きな湖が水を湛えていた。箱根湖と呼ばれている。また芦ノ湖(現神奈川県足柄下郡箱根町)と呼ぶ者もおる。箱根権現垂迹([仏や菩薩が衆生を済度する目的で、仮に神や人間などの姿となって現われること])の地(箱根神社:現神奈川県足柄下郡箱根町)は、気高く尊いものであった。朱楼・紫殿が雲に聳える様は、唐家の驪山宮(唐玄宗=第六代皇帝。の離宮で、寵妃楊貴妃の住んだところ)かと目を驚かせ、巌賓石龕([石塔])が波に映す影は、銭塘(現中国浙江省杭州市)の水心寺(かつて西湖に湖心寺があったらしい)とも言うべきか。よろこぶべき折なれば、「憂き身の老先を、導いてくだされ」と祈念し、法施([神仏に対して経を読み法文を唱えること])するついでに、
これからは思い悩むこともない。芦ノ湖のように深い恵みがありますようにと箱根権現にお任せしたからには。
(続く)