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無事是貴人



「平家物語」祇王(その3)

さて車に乗つて宿所へかへり、障子しやうじの内にたふれ伏し、ただ泣くよりほかのことぞなき。母やいもとこれを見て、いかにやいかにと問ひけれども、祗王ぎわうとかうの返事にも及ばず、具したるをんなたづねてこそ、さることありとも知つてげれ。さるほどに毎月まいぐわつ送られける百石百くわんをも押し止められて、今は仏御前の所縁ゆかりの者どもぞ、始めて楽しみ栄えける。京中きやうぢう上下じやうげ、この由を伝へ聞いて、「まことや祗王こそ、西八条はちでう殿よりいとま賜はつて出だされたんなれ。いざや見参げんざんして遊ばん」とて、あるひは文を遣はす者もあり、あるひは使者を立つる人もありけれども、祗王、今さらまた人に対面して、遊びたはむるべきにもあらねばとて、文をだに取り入るることもなく、まして使ひをあひ知らふまでもなかりけり。祗王これにつけても、いとど悲しくて、甲斐かひなき涙ぞこぼれける。かくて今年も暮れぬ。明くる春にもなりしかば、入道にふだう相国しやうこく、祗王がもとへ使者を立てて、「いかに祗王、その後は何事かある。仏御前があまりにつれづれげに見ゆるに、まゐつて今様いまやうをも歌ひ、舞ひなどをも舞うて、仏慰めよ」とぞのたまひける。祗王とかうの御返事ぺんじにも及ばず、涙を抑へて伏しにけり。入道重ねて、「何とて祗王は、ともかうも返事をばまうさぬぞ。まゐるまじきか。参るまじくは、そのやうを申せ。浄海じやうかいも計らふ旨あり」とぞのたまひける。母刀自とぢこれを聞くに悲しくて、泣く泣く教訓けうくんしけるは、「何とて祗王はともかうも御返事をば申さで、かやうに叱られ参らせんよりは」と言へば、祗王涙を抑へて申しけるは、「参らんと思ふ道ならばこそ、やがて参るべしとも申すべけれ。中々参らざらんものゆゑに、何と御返事をば申すべしとも思えず。この度召さんに参らずは、計らふ旨ありとおほせらるるは、定めて都のほかへ出ださるるか、さらずは命を召さるるか、これ二つにはよも過ぎじ。たとひ都を出ださるるとも、嘆くべき道にあらず。また命を召さるるともしかるべき我が身かは。一度憂き物に思はれまゐらせて、再びおもてを向かふべしとも思えず」とて、なほ御返事ぺんじにも及ばざりしかば、母刀自とぢ泣く泣くまた教訓けうくんしけるは、「あめが下に住まんには、ともかうも入道にふだう殿のおほせをば、背くまじきことにてあるぞ。そのうへ我御前わごぜは、男女をとこをんなの縁、宿世、今に始めぬことぞかし。千年万年とは契れども、やがて別るる仲もあり。あからさまとは思へども、永らへ果つることもあり。世に定めなきものは、男女の習ひなり。いはんや我御前は、この三年みとせあひだ思はれ参らせたれば、ありがたき御情けでこそさぶらへ。この度召さんに参らねばとて、命を召さるるまではよもあらじ。定めて都のほかへぞ出だされんずらん。たとひ都を出ださるるとも、我御前たちは歳いまだ若ければ、いかならんいははざまにても、過ごさんこと易かるべし。我が身は歳老いよはひ衰へたれば、習はぬひなの住まひを、予ねて思ふこそ悲しけれ。ただ我をば都の内にて住み果てさせよ。それぞ今生こんじやう後生ごしやう教養けうやうにてあらんずるぞ」と言へば、祗王ぎわう参らじと思ひ定めし道なれども、母の命を背かじとて、泣く泣くまた出で立ちける、心の内こそ無惨なれ。

仏御前これを見て、あまりにあはれに思えければ、入道にふだう殿にまうしけるは、「あれはいかに、祗王ぎわうとこそ見まゐらせさぶらへ。日頃召されぬ所にても候はばこそ。これへ召され候へかし。さらずはわらはにいとまべ。出で参らせん」と申しけれども、入道いかにも叶ふまじきとのたまふあひだ、力及ばで出でざりけり。入道やがて出で会ひ対面し給ひて、「いかに祗王、その後は何事かある。仏御前があまりにつれづれげに見ゆるに、今様いまやうをも歌ひ、舞ひなんどをも舞うて、仏慰めよ」とぞのたまひける。祗王、参るほどでは、ともかくも入道殿のおほせをば、背くまじきものをと思ひ、流るる涙を抑へつつ、今様一つぞ歌うたる。

『仏も昔は凡夫なり我らもつひには仏なり。いづれも仏性ぶつしやう具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ』と、泣く泣く二辺歌歌りければ、その座に並み給へる平家一門の公卿くぎやう殿上人てんじやうびと、諸大夫だいぶさぶらひにいたるまで、皆感涙かんるゐをぞもよほされける。入道にふだうもげにもと思ひ給ひて、「時に取つては神妙しんべうにもまうしたり。さては舞ひも見たけれども、今日けふまぎるること出で来たり。

この後は召さずとも常にまゐりて、今様いまやうをも歌ひ、舞ひなどをも舞うて、仏慰めよ」とぞのたまひける。祗王ぎわうとかうの御返事ぺんじにも及ばず、涙を抑へて出でにけり。祗王、「参らじと思ひ定めし道なれども、母の命を背かじと、辛き道に赴いて、再び憂きはぢを見つることの口しさよ。かくてこの世にあるならば、またも憂き目に遭はんずらん。今はただ身を投げんと思ふなり」と言へば、妹の祗女ぎによこれを聞いて、「姉身を投げば、我もともに身を投げん」と言ふ。母刀自とぢこれを聞くに悲しくて、泣く泣くまた重ねて教訓けうくんしけるは、「さやうのことあるべしとも知らずして、教訓して参らせつることの恨めしさよ。まことに我御前わごぜの恨むるもことわりなり。ただし我御前が身を投げば、妹の祗女もともに身を投げんと言ふ。若き娘どもを先立てて、歳老いよはひ衰へたる母、命生きても何にかはせんなれば、我もともに身を投げんずるなり。いまだ死期も来たらぬ母に、身を投げさせんずることは、五逆罪にてやあらんずらん。この世は仮の宿りなれば、恥ぢても恥ぢても何ならず。ただ長き世の闇こそ心憂けれ。今生こんじやうで物を思はするだにあるに、後生ごしやうでさへ悪道あくだうへ赴かんずることの悲しさよ」と、さめざめとかきくどきければ、祗王涙をはらはらと流いて、「げにもさやうにさぶらはば、五逆罪疑ひなし。一旦憂きはぢを見つることの口惜しさにこそ、身を投げんとはまうしたれ。さ候はば自害をば思ひ留まり候ひぬ。かくて都にあるならば、またも憂き目を見んずらん。今はただ都のほかへ出でん」とて、祗王二じふ一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴のいほりを引き結び、念仏してぞたりける。


祗王は車に乗って宿所に帰ると、障子に倒れ伏して、ただ泣くばかりでした。母(刀自とぢ)や妹(祗女)はその姿を見て、「何があったのです」と問いましたが、祗王は何も答えませんでした、供の女に訊ねて、事情を知りました。やがて毎月送られていた百石・百貫も止められて、今では仏御前に縁のある者たちに、届けられるようになりました。京中の身分の高い者そうでない者たちは、このことを聞いて、「祗王は、西八条殿(清盛の殿)から暇を出され追い出されたそうだ。どうだ祗王に会いたいとは思わぬか」と言って、ある者は文を遣わし、ある者は使者を立てましたが、祗王は、今さらまた人に会い、遊び戯れたくないと、文を受け取ることもなく、ましてや使いに会うこともありませんでした。祗王はこのような目に遭って、いっそう悲しくなり、とめどなく涙をこぼしました。こうしてこの年も暮れました。年が明けて春になると、清盛は、祗王の許に使者を立て、「さて祗王よ、その後はどうしておるのだ。仏御前があまりに退屈そうにしておる、参って今様([新様式の歌謡])も歌い、舞も舞って、仏御前を楽しませよ」と申しました。祗王は何も返事せず、涙を抑えて伏してしまいました。清盛は重ねて、「どうして祗王は、何も返事をよこさぬ。参らぬつもりか。参るつもりがないのなら、その訳を話せ。わし(浄海は清盛の俗名)にも考えがあるぞ」と申しました。母の刀自はこれを聞くと悲しくなって、泣きつつ祗王に諭すには、「どうしてお前は返事をしないのです、お叱りを受ける前に返事なさい」と言ったので、祗王は涙を抑えて言うには、「参りたくありません、どうして今すぐ参るなどと返事できましょう。参らぬものを、何と返事すればよいのかわかりません。この度呼ばれて参らなければ、お考えがあるとのことですが、きっと都の外に追い出されるか、そうでなければ命を取られるか、この二つのどちらかでしょう。たとえ都を追い出されたところで、悲しむほどのことはありません。また命を取られても何を惜しむべき我が身でしょう。一度憎い者と思われながら、再び顔を合わせようとは思いません」と言って、なおも返事をしませんでした、母である刀自が泣く泣く諭して、「天下に住もうと思うのならば、とにもかくにも入道殿(平清盛)の命令に、背いてはなりません。その上お前は、清盛殿とは男と女の縁、宿世([前世からの因縁])なのですから、今さら会わぬ理由もないでしょう。千年万年と契っても、やがて別れる仲もあります。ほんの少しの縁が、永く続くこともあります。世の中にこれと決まったものはありません、それが男女の仲というものです。その上お前は、この三年の間清盛殿に思われて、ありがたくも情けを受けたのではありませんか。今回参らなかったとしても、命を取られることはよもやないでしょう。きっと都の外へ出されることでしょう。たとえ都を追い出されても、お前たちは歳がまだ若いから、どんな岩木の間でも、暮らすのは容易いことです。わたしは歳老い衰えましたから、慣れない田舎での暮らしを、考えるだけで悲しくなります。ただわたしを都の内でずっと住まわせてください。それが今生([この世])・後生([後の世])のためになりましょう」と言ったので、祗王は参らぬと心に決めていましたが、母の命には背けないと、泣きつつまた出て行きました、祗王の心の内には悲しみばかりがありました。

祗王ぎわう一人まゐらんことの、あまりに心憂しとて、いもと祗女ぎによをもあひ具しけり。そのほか白拍子しらびやうし二人ににん、総じて四人しにん、一つ車にとり乗つて、西八条はちでう殿へぞ参じたる。日頃召されつる所へは入れられずして、はるかに下がりたる所に、座敷しつらうてぞ置かれける。祗王、「こはされば何事ぞや。我が身にあやまつことはなけれども、出だされまゐらするだにあるに、あまつさへ座敷をだに下げらるることの口しさよ。いかにせん」と思ふを、人に知らせじと、抑ふる袖のひまよりも、余りて涙ぞこぼれける。


祗王は一人で清盛を訪ねるのは、あまりに心苦しくて、妹の祗女を連れて行きました。そのほかに白拍子([平安末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞。また、それを演じる遊女])を二人、合わせて四人が、一つの車に乗って、西八条殿(清盛の殿)へ参りました。いつも呼ばれた場所ではなくて、はるか下座に、座敷があってそこに置かれました。祗王は、「これはどういうことでしょう。わたくしに何も悪いところはなく、追い出されたのに、その上座敷さえ遠ざけられては悲しくて仕方ありません。なんてひどい仕打ちなんでしょう」と思いましたが、人に知られまいと、抑える袖の隙間から、涙をこぼしました。

仏御前はこれを見て、あまりにかわいそうだと思い、入道(平清盛)に申すには、「あれはさて、祗王ではありませんか。いつもとは違う所にいらっしゃいますが。こちらへお呼びくださいませ。もし願いを聞いていただけないのでしたらわたしに暇をくださいませ。ここから出て行きます」と言いましたが、清盛は願いを聞きませんでしたので、仏御前は仕方なく出て行きました。清盛はすぐにそこを出ると祗王の許へ行って対面し、「祗王よ、その後はどうしておるのだ。仏御前があまりに退屈にしておるので、今様([新様式の歌謡])でも歌い、舞を舞って、仏御前を楽しませてくれ」と申しました。祗王は、参った限りは、とにかく清盛殿の仰せに、背くわけにはいかないと思って、流れる涙を抑え、今様を一つ歌いました。

『仏も昔は仏教の教えを知りませんでしたからわたしたちも最後には仏になれるでしょう。誰かれも仏性([仏となることのできる性質])を持っているのにそれを身から遠ざけるのは悲しいことです』と、泣きながら二度歌を歌いました、その場に揃った平家一門公卿殿上人をはじめ、諸大夫、侍にいたるまで、皆感動して涙を流しました。入道(平清盛)もなるほどと思って、「今様とは思えぬよい歌だ。続いて舞いも見たいが、今日は他に用がある。今後は呼ばずともいつもここに来て、今様([新様式の歌謡])も歌い、舞いを舞い、仏御前を慰めてくれ」と申しました。祗王は返事することもなく、涙を抑えて出て行きました。祗王は、「もう二度とここへは参らぬと決めていましたが、母の命に背いてはならないと、辛い思いをしてやって来ました、再び悲しい目に遭うことになろうとは残念でなりません。このままこの世にいれば、また辛い目に遭うことでしょう。今はただ身を投げようと思います」と言ったので、妹の祗女はこれを聞いて、「姉が身を投げるというのなら、わたしもいっしょに身を投げましょう」と言いました。母の刀自はこの言葉を聞くと悲しくて、泣く泣く何度も諭すには、「そのような目に遭うことを知らないで、清盛殿のもとに行かせたことを情けなく思います。お前(祗王)が恨むのは当然です。ただお前が身を投げれば、妹の祗女もいっしょに身を投げると言っています。若い娘たちに先立たれて、歳老い衰えた母は、命生きても仕方ありません、わたしもいっしょに身を投げましょう。けれどもまだ死ぬ時ではない母に、身を投げさせては、五逆罪([最も重い罪。父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけること])になるのではありませんか。この世は仮の住みかですから、何度恥じようがたいしたことではありません。ただ長い間闇([地獄。五逆罪を犯した者は、阿鼻地獄=地獄の底に落とされるという])で生きるのは苦しいことでしょう。今生([この世])でさえ悩むことが多いのに、後生([後の世])で悪道([死後に赴く苦悩の世界。地獄・餓鬼・畜生])へ行くのはあまりにも悲しいことですよ」と、さめざめと泣きながら話したので、祗王もとめどなく涙を流して、「母をそのような目に遭わせれば、五逆罪になるのは間違いありません。一時辛い目に遭った悲しさから、身を投げると言ったまで。母がそうおっしゃるのならば自害は思い留まりましょう。こうして都にいれば、また悲しい目を見ることでしょう。今はただ都の外に出ることにします」と言って、嵯峨(現京都市右京区、嵐山あたり)の奥の山里に、柴の庵を結び、念仏して暮らすようになりました。

続く


by balatnas | 2022-12-02 08:37 | 平家物語 | Trackback | Comments(0)
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