俊基朝臣は、先年土岐十郎頼貞が討たれし後、召し取られて、鎌倉まで下り給ひしかども、様々に陳じ申されし趣き、げにもとて赦免せられたりけるが、またこの度の白状どもに、専ら隠謀の企て、かの朝臣にありと載せたりければ、七月十一日にまた六波羅へ召し取られて関東へ送られ給ふ。再犯不赦法令の定まるところなれば、何と陳ずるとも許されじ、路次にて失はるるか鎌倉にて斬らるるか、二つの間をば離れじと、思ひ儲けてぞ出でられける。
俊基朝臣(日野俊基)は、先年土岐十郎頼貞(正しくは、土岐頼兼 。土岐頼貞の十男)が討たれた後、捕えられて、鎌倉まで下され、様々に陳じ申して、嫌疑なしと赦免されましたが、またこの度の白状に、主に隠謀の企てが、俊基朝臣によるものだと載せられて、七月十一日にまた六波羅へ捕えられて関東へ送られることになりました。再犯不赦は法令に定まれるところでしたので、何と陳じようとも許されることはありませんでした、路次で失われるか、鎌倉で斬られるか、二つのほかはないと、思い定めて都を出ました。
(続く)