ここに本朝人皇の始め、神武天皇より九十五代の帝、後醍醐の天皇の御宇に当たつて、武臣相摸の守平の高時と言ふ者あり。この時上君の徳に背き、下臣の礼を失ふ。これより四海大きに乱れて、一日もいまだ安からず。狼煙天を隠し、鯢波地を動かすこと、今に至るまで四十余年。一人として春秋に富めることを得ず。万民手足を置くに所なし。
ここに本朝人皇の始まり、神武天皇(初代天皇)より九十五代の帝、後醍醐天皇(第九十六代天皇)の御宇に当たり、武臣相摸守平高時(北条高時)という者がいました。当時上は君の徳に背き、下は臣の礼を欠きました。そのため四海([国内])はたいそう乱れて、一日も安まることはありませんでした。狼煙([のろし])は天を焦がし、鯢波([閧の声])は地を轟かせました、今にいたるまで四十年余り。一人として春秋([年月])を安らかに送る者はなく、万民は手足を休める場所もありませんでした。
(続く)